過去、めちゃくちゃ頑張り屋さんだった私・・・

 

こんにちは「料理の家庭教師」「思い出の味 再現します」
宗河美幸です。

なんだかんだと、ブログ記事書きたいと思いながら
雑多なことに時間も心も奪われ、やっとこ3回目の投稿です(^^;

先日私がFacebookに投稿した記事に反響が多かったので
こちらには、もうちょっと突っ込んで書きたいなぁと
思っていました。

 

冒頭にも書きましたが、今までの私は自他ともに認める
誰の目にも「めちゃくちゃ 頑張る 美幸ちゃん」でした。

今でもそういうところ、なくなったわけじゃない。
でもね、昔 必死で頑張ってた時って
ホントは苦しかったんだよね、
もう無意識に頑張っちゃってるんだけど
頑張る以外の選択肢がない感じ。

で、あるとき気がついたのよね
私がここまで必死に頑張ってた理由・・・

それはね
「がんばらない私には価値がない」って思ってた。

 

今、冷静に考えてみて、ちょっと怖くなった・・・
これ聞いていて、あなたはどう思いましたか?

あなた自身、この思考のループにはまっていませんか?

 

ちょっと私自身のことをお話しますね。
私は3人兄弟の一番上のおねえちゃんとして育ちました。
いわゆる長子って最初は兄弟がいないから
両親の愛情をいっぱい、独り占めできるし
親も初めての子供だから可愛いし、いっぱい手をかける。

でも、ある日突然兄弟が出来たらそれがなくなるんですよね。
子供本人にしたら意味も、理由もわかんないですよね。
ましてや、ちびっ子だしね。

昨日まで自分に向けられてたはずの愛情や笑顔が
誰か、何かに奪われた。
そりゃ、存在の危機的なものを感じるわけです。

で、どうすればその奪われたものを取り戻せるか?
子供なりに一生懸命考えるわけです。
今までと同じように親の愛情をもっと得たい、
もっと注目を浴びたいってね。

で、どうするか?
問題行動を起こして、親の注意を引こうとするか
親に褒められるようなことをして、注目を集めるか?

私は後者でした。
最初は偶然だったかもしれない。
何が最初だったかも、その記憶すらないけど、
そんな日々の中で学習したんだと思う。

親にしてみたら、わがままに思えるかもしれないけど
子供にしてみたら、親の注目を集めること自体が
自分の存在意義そのものだから。

野生動物だったら、親から見放されることは
死に直結するくらい危険なこと、
だから、もう本能的にやってるんですよね、
こういうのって。

 

そういうことを日常的に繰り返して
「頑張れば褒められる」でも
「頑張らないと褒められない」
褒められない私は、そこにいないのと同じ・・・

で、「がんばらない私は価値がない」ってなっちゃった。
たぶん、これを読んでくださってる方は
子供さんをお持ちの方も多いと思います。

もし、自分の子供がこんなふうに思ってたら
どんな気持ちになりますか?

私には子供がいないけど、もし子供がいたら
もし、子供がこんな風に思ってたら、どうするだろ?

しっかり、ぎゅって抱きしめて
「ごめんね、そんな風に思わせて・・・
大丈夫だよ、無理に頑張らなくてもいいんだよ」
って言ってあげたい。

だから、自分にもそう言ってあげた。
もう、頑固だからさ(笑)何回も何回も何回も・・・
で、最近やっと頑張らないって言えるようになった。

 

そして、頑張ることの弊害もわかってきたんだけど
ちょっと長くなったので続きはまた次回に・・・

 

好評だったFacebookの記事はコチラ

 

私の周りには頑張り屋さんが多い。
私自身もそうだった•••
でも、私は頑張らないと決めた。

え?みゆきが?

めっちゃ頑張ってるやん!って思いました?^^;
それとも、いいなぁって思いました?

物事は表裏一体、どっちもホントで、どっちも違う。
そんな事を思った今年の折り返し6月最後の日。

 

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「疲れた」は、頑張った証拠。

「失敗した」は、挑戦した証拠。

「もう止めようかな」は、

まだ希望を捨てずにいた証拠。

「素直になれない」は、

それだけ愛している証拠。

もう良いは、全然よくない証拠。

大丈夫は、全然大丈夫じゃない証拠。

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